昭和50年代に小学生だった頃の思い出話です。
当時、家庭用ゲーム機はあるにはありましたが、ほんの一部の家庭にしかなく、しかもそれは「テレビゲーム」と言われるもので、
- テニス
- 卓球
- ホッケー
など対戦型のシンプルなゲームばかりでした。
グラフィックも相当にシンプルで、パソコンのカーソルが大きくなったようなものがラケットだったりしました。
そんな時代の中で、
- プラモデル
- ラジコン
- ミニカー
に熱中しました。
小学生ですからマニアという事も無く、単純に遊び道具程度でしたが、非常に強く印象に残っている「おもちゃ」でした。
この記事では、当時のおもちゃを懐かしんでみたいと思います。
プラモデルは500円
前提として、現代の高度なプラモデルを想像してはいけません。
雲泥の差があると思ってください。
自宅から近所のスーパーに2階におもちゃ売り場があり、プラモデルの品揃えがなぜか充実していたんです。
しかもほとんどが500円で買えるので、親も抵抗なく買ってくれました。
子どもにねだられてもいい程度の金額設定だったのかもしれないですね。
もっぱら買うプラモデルは自動車ばかり。
組立も簡単で、接着剤なども不要。
パーツを取り外してパチパチと組み上げていくだけなので、小学生でも手軽に楽しめました。
別売りのモーターを付けて自走させることも出来たので、飽きなかったですね。
ただし、販売元の名前を全く覚えていないので、紹介が出来ないのが残念です。
作った車種も1代しか覚えておらず、それは日産のスカイラインでした。
ケンメリスカイラインと言われる2ドアハードトップのやつです。
懐かしいでしょ(笑)
自動車マニアはきっと泣いて喜んでいるはずです。
ラジコンは男子の憧れ
ラジコン流行りました。
スポーツカーやレーシングカーが人気でした。
一部で熱狂的に支持を得たのはオフロード走行が可能なジープやバギーです。
個人的に好きだったのは戦車でした。
他の小学生の男子はスピードを競う事に執心していましたが、私は戦車で悪路を走行させることに熱中しました。
スピードは全然でません(汗)
手で動かした方が早いぐらいの遅さでしたけど、ジワジワと障害物を乗り越えるところが好きだったんですね。
まあ、その障害物は自分でこしらえるという、ちょっと暗いと言われてもおかしくない状況ではありましたが、十分に楽しかったんです。
ひとりの世界に入れました。
決して戦車が好きというわけではなく、実は油圧ショベル(通称ユンボ)と迷いに迷った記憶があります。
工事用車両は適度な大きさのものがなく、しかも高額だったので、親から拒否されたんですよね。
ここでまめ知識。
なぜ油圧ショベルをユンボと言うのかですが、三菱重工がフランスの製造会社から技術提供を受けて作ったものをユンボ(Yumbo)という名称で販売したからです。
ユンボという名称じゃなくても、あの姿を見ればユンボで通用するスゴイ名前です。
ミニカーは一番の友だち
こう書くと根暗で残念な小学生のように思えるかもしれませんが、おもちゃの中で一番という意味です。
ホントによく遊びました。
ミニカーって女の子の9割以上は、遊び方を知らないと思います。
ミニカーで出来る遊びと言えば、
- 寝そべって鑑賞
- 寝そべって手動で走りを楽しむ
- ドアを開けっ放しにしてショールームごっこ
- 映画のようにクラッシュシーンを手動で再現
- ボールペーンのノックを利用してスタートダッシュ
- 手動でドリフト
そんな感じです。
ミニカー専用のパーキングとかガソリンスタンドとかありましたからね別売りで。
しかもパーキングは立体ですよ。
プラレールほど人気じゃないかもしれませんけど、憧れましたね。
非常に懐かしいです。
物置にあるなら売ってしまおう
子どもの頃の思い出が押入れや倉庫に仕舞ってあるなら、もう、解放してあげてもいいのではないでしょうか。
思い出の品をいくつか残して、後は、次の世代に楽しんでもらうのために買取してもらうのも悪くないと思いませんか?
特に、ラジコン、ミニカー、プラモデルは高額買取が期待できるおもちゃなので、自分が選んできたものが、どのぐらいの価値で取引されるのかを考えると、より思い出深いものになりますね。
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